ラン種子の不稔性、不発芽性・・・・
   原種の種子では前記のようにほとんどの植物において
   難発芽性はない。
    気候条件での発芽抑制物質による不発芽は、時期が来れば発芽する。

 しかし、人工交配したランでは、人間の身勝手で創った植物だから、
 自然界では生きられない植物も生まれてくる。自然界では、このような個体は
 自然淘汰の法則で絶種する。
 
 したがって、自生地において何万年も生きつづけてきた植物に、
 難発芽性のものはほとんどありえない。若し、そのようなものあったとしても、
 別な方法で増殖できる植物である。例えば3媒体のバナナ、黒百合、鬼百合など。


本当にランに難発芽性という遺伝子があるのか。

 箭内氏のSUGOI-neによるニオイエビネが親鉢播種で多数の発芽を見たことによって、ランの難発芽性に疑問が出てきた。
 無菌培養で発芽率が低いだけであって、ニオイエビネの種子に「発芽しない」DNAはない。
 無菌培養での難発芽は、人間の無菌培養の科学がランの発芽メカニズムを100%解明していないために起こる不発芽に過ぎない。
 宇井清太は昭和43年にメリクロンに成功し、更にこれまでCymbidiumの育種を5000坪で行ってきた。
 したがって、ランの不稔性、難発芽性、培地の不完全さを体験してきた。
 ナドソンの無菌培養は完璧なものではなく、自然のランの進化には、更に深い謎が解明されないまま放置されてきたと思ってきた。
 「腐生ラン」である。
 腐生ランの種子の・・・例えばツチアケビ、マヤラン・・・などの無菌培養は難発芽以上に困難である。
 この観点からSUGOI-ne、ラン菌を研究してきた。
 以上のような体験から、SUGOI-neによる親鉢播種での発芽をCymbidiumで実験してきた。
 箭内氏の今回のニオイエビネでの高い確率での発芽成功は、宇井清太の永年の難発芽の疑問を払拭するものである。
 ラン栽培でもっとも困難を極める「腐生ラン」の発芽、栽培が可能になるかも知れない。
 難発芽性の問題は腐生ランの発芽が解明されれば、ほとんど解決されるかもしれない。
 Cymbidiumにはマヤランという腐生ランが一種ある。
 エビネには腐生ランはない。
 ランの難発芽性の解明には、ラン科植物の全体の進化から追究する必要がある。
 エビネにおいて、過去に「ラン菌入の用土」が販売されたことがあったようである。
 しかし、この用土で発芽したというデーターはない。
 ニオイエビネが、現在栽培困難なのと難発芽には深い関係があると宇井清太は思う。
 自生地における炭素循環の削除、欠如がその原因と考えている。
 SUGOI-ne栽培はニオイエビネは無造作に素晴らしい生育をするからである。
 更に箭内によってSUGOI-neで発芽に成功したことは、栽培困難と難発芽の関係を示したものであろう。
 種子が発芽出来るコンポスト大株を栽培するという植物栽培の原理原則が、
 SUGOI-neによって初めて可能になったということである。

 箭内氏のニオイエビネの鉢を見てみよう。
 鉢の大きさは5号鉢である。
 直径15cmの僅かな面積に、表面のプロトコームだけでも30余個発生している。
 内部には更に多くのプロトコームがある。
 このプロトコームの発芽率は、自生地に置き換えてみれば、非常に高い発芽率である。
 大きく生長した場合、全部の株が大きくなり得ない密度である。


 SUGOI-ne親株播種によって、少なくともニオイエビネにおいては難発芽のランではないことが実証された。
 この高い発芽率は、何によってもたらされたのか。
 SUGOI-ne及び宇井清太新発見のラン菌によるものである。
 ラン菌による自生地再現。ニオイエビネの自生地「御蔵島」の条件を再現すれば、高い発芽率になるという事実である。
 ラン菌による炭素循環による「糖」。
 ラン菌との共生関係による発芽。
 無菌培養は、ラン菌が行う炭素循環の糖と供給を「削除」して「短絡」した技術である。
 問題は、この短絡し単純化したシステムが、自然界における材木腐朽菌の炭素循環による糖、
 その他の養分の供給と同一のものではないということである。
 自然界における微生物の働きの解明は、ようやく始まったばかりである。これが現代の科学のレベルである。
 このレベルの中で「培養基」の研究が行われているに過ぎない。

 現在のランの無菌培養における培地は、絶対的なものではなく、手探りで希望的に作製している。
 やっみたら発芽した・・・というレベルのものが多い。
 バナナを添加しても、バナナのどんな成分が発芽に関係しているかもわからないレベルである。
 このような低レベルの科学で培地は作製されている。
 この培養基で種子が発芽しないからといって、そのランが「難発芽性」のランとは言えない。
 ただ単に培養基が適確でないから起こる不発芽であろう。
 SUGOI-ne、ラン菌による高い発芽率は、この「難発芽性ラン」という言葉を無くすことになるかもしれない。

 ランの進化から考えれば、ランが微細な種子を作ることになった理由は、より少ないエネルギーの消費で、
 より多くの種子を確保することにあった。
 より多くの種子を作るという意味は、より多くの子孫を残し繁栄することである。
 発芽できない種子を作るという遺伝子は、ランの進化ににはないと考えるのが理にかなっている。
 不発芽の種子を発芽する種子とミックスするという無駄なエネルギーの使い方はランはしない。
 光合成の効率の悪いランが、無駄な不発芽の種子を実らせるということはない。
 御蔵島の面積を計算する能力は種子には無い。

 ラン科植物は光合成の効率の極端に低い植物である。
 生育速度も遅い。
 そのランは、花粉さえも無駄には出来なかった。
 この進化の理念から考えれば、種子も無駄には出来ないと考えるのが自然である。
 不発芽、難発芽の種子を生産するという子孫繁栄と逆行する進化、逆進化はないと考えられる。
 ランはなぜ種子に「胚乳」を持たない進化をしたのか。
 胚乳を持てば重くなり、広い範囲に種子をばら撒くことが出来ないからである。
 新参者、負け組のランは、常に新天地を求めて移住しなければならない宿命に支配されている。
 樹上さえも移住地である。
 エビネ。カランテはヒマラヤを発生起源地とするランである。
 そのランが、アジアの広い場所、日本にまで自生地を広げることが出来たのは、
 種子が小さくした進化のためである。
 中央アメリカにも2種自生する。
 偏西風、風に乗って海を越えられるからである。
 この種子が風に乗るという進化には前例がある。
 風媒花の花粉である。
 カビ、キノコの、シダ類の胞子である。
 中国の黄土地帯から、麦の赤サビ病の胞子が黄砂の風に乗って日本に飛来する。
 日本の小麦の赤サビ病は、中国の赤サビ病とDNAを同じ。
 更に今年話題になったフィンランドのマツタケと日本のマツタケはDNAが同じなのである。
 胞子も種子も「発芽」する使命を持たされた組織である。
 御蔵島のニオイエビネも同じであろう。
 その種子が「発芽」するという絶対の使命のDNAを宿していなければならい。
 若し、種子に不発芽、難発芽の遺伝子があれば、この新天地進出は非常に効率が悪いことになる。
 せっかく苦労して生産した種子が、難発芽の遺伝子が組み込まれているとは考えにくい。

 種子であれば、芽生えるという絶対の使命が課せられている。
 200年も地中にあった蓮の種が芽生える。
 この長期休眠、保存してまで種族保存、繁栄をになう任務が種子である。
 ランは、この長期休眠保存と新天地への移住を天秤に掛けて、後者の道を選んだ。
 であるなら、ニオイエビネは、ヒマラヤから飛んで御蔵島に定住し進化し固有種になったように、
 より面積の広い至近の日本本土での生活、定住が出来るのである。
 種子に難発芽の遺伝子を組み込むより、日本本土で勢力拡大を図るほうが自然であろう。
 それを行っても本土では出来なかった。
 最初からニオイエビネが本土上陸を放棄したわけではなかろう。
 難発芽にして本土移住を出来なくしたわけではない。
 したくとも出来なかったのである。
 共生するラン菌と遭遇しなかったか。
 生きるエリアが残っていなかったか。
 ・・・・・・
 森では負け組みのエビネが、多大なエネルギーを使って創る種子に難発芽の遺伝子を組み込むというのは、
 生物の繁栄遺伝子の進化の系譜から見て考えにくい。
 種子には新しい生命の誕生遺伝子が絶対なものとして組み込まれている。
 だからこそ代々生命を継ぐことが出来てきたのである。
 故に、難発芽は、不発芽は、芽生えたくとも芽生えられない何らかの条件に遭遇しているからである。
 発芽に関係する全ての悪条件が除かれたとき、種子は絶対の使命DNAが作動して芽生える方向に活動始める。
 大賀蓮の種も2000年の眠りから醒めたのである。
 培養基には発芽を抑制させる何かが存在するから低い発芽率になるのである。
 又は発芽に必要なものが不足しているかである。
 御蔵島のニオイエビネが、何万年も日本本土に種子で移住できなかったが、
 人間が風の代わりになって・・・ニオイエビネを・・・・本土に移住させた。
 これが、ニオイにとって新たな試練であった。
 人間が勝手にみたこともないラン菌のいない寒天に種を蒔くという暴挙を行う。
 発芽したくとも発芽できない。そして種子は死んでゆく・・・。
 それを勝手に「難発芽」と決め付ける!!
 己の研究の足りなさを棚に上げて。
 ニオイエビネの目線で考えれば、このようになる。

 仮に、自生において高い密度で発生したプロトコームはどうなるのであろうか。
 これはあくまでも仮にである。
 自生地において高い密度でプロトコームが発生する場所など、新参者のランには残されていないからである。
 狭い場所に多数の種子が落下するようには原則としてなっていないが、
 若し仮に写真の箭内氏の鉢のような高い密度芽生えたランたちはどうなるのであろうか。
 当然、他の植物と同じように、小さな苗の時は「競争」して生育する。
 「共育ち」の現象である。
 野菜の種まきと同じである。ランのCPサイズ苗育成は、一鉢に何本の植えるが、この現象を応用したものである。
 山の森林における樹木の種子の芽生えと生育を見ればおよその見当は付く。
 マツの実生苗も、ブナの実生苗も高い密度で芽生える。
 しかし、大きくなるのはその中の1,2本である。
 これが、種族保存における自然淘汰の一つである。
 ほとんどの植物は光合成できない条件では生存出来ない。
 これが独立栄養植物の絶対の条件である。
 ランもこの法則に支配される。
 面積あたりの生存密度の限界は光合成に支配される。
 葉が重なり光合成出来なければやがて生存することは難しくなる。
 この法則の中で高い密度で芽生えた植物は次々に姿を消して、少数のものが生き残る。
 この場合、光のほかに、水、養分、他の植物なども関係する。
 争奪戦の戦場である。
 更に、カラマツ、コマクサのような不毛の地を開拓する先遣植物では、己の死骸が蓄積し、
 腐植が多くなり養分が豊富になれば生きられない場合もある。
 エビネはどうか。
 春に何枚かの幅広い葉を展開する。
 この全部の葉に光が当たる状態の密度が自生地における最適密度である。
 ニオイエビネが面積を計測するとすれば、隣接する植物の葉との距離であろう。
 御蔵島の面積ではない。
 動物なら弱肉強食で移動も出来る。
 動物と植物の自生地における淘汰には大きな違いがある。
 動物なら植物のように独立栄養生物でないから、必ず食べ物を他から摂取しなければならない。
 食べ物が少なければ、身体を小さくする、個体を少なくする、取りのように他の場所で餌を取る・・・・
 しかし、エビネは地面に葉を広げるだけである。
 大きな樹がこぼし落とした光を拾うだけである。
 上に上に葉を展開して伸びる植物とは異なる。
 エビネの至近距離の場所に、背が高い植物がめばえたとき、エビネは光の争奪戦で負ける。
 養分、水分の争奪戦でも敗者となる。
 このことは農業では常識である。
 稲を田植えする場合、面積当たり何株植えるともっとも収量が多くなくかということである。
 稲では1坪に約60株程度である。
 これより多く植えれば、逆に収量は少なくなる。
 これより少なくても収量は少なくなる。
 面積あたりの光合成の最大限界である。
 通風が悪くなり病気を誘発するという問題も当然出てくる。
 ラン栽培でも同じ。
 1坪にコチョウランなら、シンビなら何鉢という限界当然出てくる。
 フラスコにランの種子を蒔いたときは、更に問題が大きくなる。
 培養基に入れる「糖」のエネルギーが最大値だからである。
 多く発芽すれば分け前が少なくなるからである。
 養分が短時間に欠乏することになる。
 だから新たなフラスコに移植しなければならない。
 この時代ランのプロトコームも小さな苗も、完全な独立栄養植物ではない。
 培養基の糖のエネルギーに依存して生育しているからである。
 エネルギー保存の法則に支配されている。
 胚乳を持っている植物は、胚乳のエネルギーに支配される。
 胚乳のエネルギーは、太陽エネルギーだからである。
 胚乳のエネルギーを消耗しきった時、植物は光合成のみで生きなければならない。
 だからこのような植物を独立栄養生物と呼ぶ。
 SUGOI-neが問題にするのはここの部分である。
 ラン菌のいないコンポストで植えるというのは、ランを一般の植物と同じように、
 光合成のみで生きられる独立栄養生物として扱うということである。
 自生地の炭素循環の糖は不要とする考え方である。
 SUGOI-neでニオイエビネが多数発芽した。
 フラスコでは難発芽で低発芽。

 つまり、ラン科植物というのは、自生地において常に敗者になりうる宿命を持った植物である。
 芽生えた後でも常に敗者になって死ぬ状況に遭遇する。
 であるならば、種子は100%したいところだ。
 このように種子を無数に準備してもランは安心できなかった植物である。
   種子、
   バックバル、
   リゾーム・・・まで準備して生き延びることを考え進化した。

 ランの多数の小さなな種子への進化は・・・・
 魚も同じ。
 小さな卵なら・・・・1%生き残っても種族保存できる。
 ハダニも同じ。
 秋、紫外線が強くなると爆発的に繁殖する。
 1%生き残っても種族保存できるからである。

 このように考えると、ランに難発芽の種子は存在しない。
 人間が勝手に「難発芽」と思っているに過ぎない。
 科学はランの何が解かったのというのであろうか。
 人間の科学はランの進化に追いついていないが故の不発芽であり、難発芽である。
 ランの進化の悠久の奥深さからみれば、無菌培養の技術など「小手先」の技術ででしかない。
 小手先の技術でランをアレダコレダと論じるのは、ランの世界を矮小化するものである。
 


まとめ

 
SUGOI-neの開発はラン世界を一新する。

 SUGOI-neによって、少なくとも難発芽のニオイエビネを高い発芽率を可能にした。
 近い将来、多くの難発芽性ランが容易に発芽するランになることになろう。
 ランは環境に大きき支配される植物である。
 しかし、現在のラン栽培は、環境条件はカネを掛ければ何とでもなるところまでなっている。
 もっとも開発が遅れていたのは自生地の「埴性」である。
 ラン菌の研究である。
 これが宇井清太新発見のラン菌によって新世界が拓かれた。
 今後、多くの人の、多くの種類のランの研究によって、これまで難発芽性ランといわれてきたランが、
 容易に発芽することが可能になるかもしれない。
 誰でも育種できるようになる。
 園芸素材として高い価値があるニオイエビネのようなランも、大普及し再発見、再発展するかもしれない。
 絶滅危惧種のランを保存可能になるかもしれない。
 絶滅した自生地を再生することが出来るかもしれない。
 SUGOI-neとSUGOI-neのラン菌が、そのようにこれまで夢物語の世界であったラン世界を、
 現実のものとするかもしれない。
  皆さんのSUGOI-neによる研究を期待する。
 

 カンラン、シュンランの大量増殖法  クリック
CymbidiumのSUGOI-ne単用 播種発芽成功  クリック
 
ランの実生は主にナドソンが100年前に開発した無菌培養法で行われている。
蘭科植物には世界中に約2600種自生していると言われている。
ランの進化は多様であり、この多様は無菌培養での発芽率にも深く関係し、
現在開発されている培養基で容易に高い発芽率を示すものから、全然発芽に成功していないものまである。
これまでの経験から赤道をはさんで北回帰線から南回帰線までのエリア、いわゆる熱帯地方に自生するランでは、
比較的容易に発芽することが知られている。
北回帰線、南回帰線より北、南の温帯、寒帯に自生するランには、無菌培養で発芽に難のあるランが多い。
この原因は発芽抑制物質が関与している場合が多いが、それ以外の原因も考えれるようである。
発芽抑制物質で難発芽のランの場合は、発芽抑制物質は完熟した種子に見られることから、
多くのランで未熟種子を蒔くことによって発芽率を高くする方法が行われている。
 この方法で成功しているランも多いことから、発芽抑制物質が関係していることが推察されている。
未熟種子でも発芽しない、低発芽率のランもあり、培地の研究が行われている現状である。

これは四季の変化の地球のサイクルに開花を、種子の稔る時期を合わせ、発芽可能になる環境条件が整うまで、
発芽を抑制するというものである。
ランの生命保存期間は極めて短い。
他の植物のように何年という休眠は出来ない。
人間が無菌播種で難発芽のランも自生地では、ラン菌との共生で発芽している。
自生地では難発芽というのことはない。

更に、別な所見もあるようである。
それは、ランの自生密度の観点から、高い発芽率の種子ででは生息密度が高くなり、共倒れするからという考え方である。
自然淘汰による適度な生息密度が種子にDNAとして組み込まれているという考え方である。
ニオイエビネと他のエビネとの発芽率の差は、ニオイエビネの発芽率が悪いのは、
ニオイエビネの自生地が小さな「御蔵島」であるからというもの。
ニオイエビネが容易に発芽するものなら、小さな島がニオイエビネだらけになるのではないか。
                                   コレー園芸  「私の難発芽仮説」

これは言葉を変えれば、島の面積がニオイエビネの発芽メカニズムDNAに組み込まれているというものである。
ニオイエビネノ種子が、島の面積を計測できるということである。

宇井清太はこんな理由でニオイエビネが難発芽、不発芽ではないと考える。
次のその理由を記して見たい。
一口に言えば、箭内の成功によって、ニオイエビネが難発芽性のランではなかったということである。
原種ランの難発芽の問題は、自生地におけるラン菌(材木腐朽菌)の栄養供給を人工培地で完璧に置換出来るかということである。
ラン菌がランに供給する全成分、その濃度が人工的に種子に供給できるかということである。
未だ、科学はラン菌に及ばないということである。人間の技術がラン菌まで達していないということである。
メリクロンも同じ理由である。未だ科学は万能どころか、序の口の入口のところであろう。小さな種子が宇宙にも見えてくる。

御蔵島の照葉樹林が主役の島。スローな光合成の敗者、新参者のランが森の主役にはなれない。
このように進化したランが容易に発芽しても、ランだらけになれるのであろうか。エリアの主役になれるのであろうか。
エビネは喬木に守られてこそ・・生きられる植物である。
喬木の落ち葉のラン菌による炭素循環。ラン菌のいないところでは自生できない。
ランは地域限定の植物である。
種子が発芽する能力があっても発芽できないというのが、ラン種子の哀しい実像なのである。
だからこそ、次善の策として大量の種子を作りとばす。
万に一つでもいい場所でラン菌と出会ってくれれば・・・・
ニオイエビネの親株は思っているに違いない。


  宇井清太新説
    
          ランの難発芽性ランの発芽しない理由

                                               宇井清太
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