植物原種の基本は2n 2倍体植物である。
自然界にもオニユリ、バナナに代表されるように種子を結ぶことが出来ない3倍体植物がある。
更に2倍体の染色体の2倍の4倍体の植物も存在する。(ブドウなど)

ランでは、交配実生していると、2nに混じって・・・一つの変異とも考えられるが、
相当高い確率で4倍体、3倍体の個体が出てくる。
メリクロンでも、品種によっては、高い確率ででてくる。

この3倍体、4倍体の個体は個々の細胞が2倍体より大きいために、
一般には大きな体を形成し、花も大きく、花弁が肉厚に咲く。
このことが、ラン界では非常にもてはやされることになる。
ラン界には名花とする基準に基づいて審査が行なわれる。
この基準が「満月」のような真円ほど名花と評価される。
この3、4倍体というのは細胞が大きいことから、2倍体の花より1回り、2回り大きい花が咲く。
花弁の肉が厚いため、よじれたり、反り返ったりしにくい。
豊満な花容になる。
つまり・・・・満月のような花になりやすい。
そういうことで、名花には3、4倍体の個体が多いことになる。
この3倍体品種は茎も太いから、切花を考えた場合、非常に優れた特質になる。
このことに着目したアメリカのラン界は、1960年代に、
スゴイ熱意で4倍体のCymbidiumを探しに探した。
この4倍体個体と2倍体個体を交配して3倍体の名花を続出させた。
戦後のラン界はCymbidiumの3倍体育種から始まったのである。
この動きを察知した日本の山本二郎氏(山本デンドロビューム)は、
デンドロのノビル系で3倍体育種を狙い、今日にいたる。
カトレアでもボーベルスのような4倍体個体を探して3倍体のカトレアを作ったが、
カトレアの花弁の質をCymbidiumの3倍体品種のように出来なかったため、
カトレアではCymbidiumのような神話、伝説を作る名花は、
未だに見られない。
パフィオの場合は、唐澤氏の調査のように、パフィオの染色体の数はバラバラで、
なにがなんだかわからない。
これを交配するものだから・・Cymbidium、デンドロのように、
3倍体品種を作るという目的で育種できない。
そのために、未だに、Cymbidium、デンドロのような、名花を続出させる、
伝説の交配親は発見されていない。
近年は、リカステでも4n、3nの個体が見つかってAMなどに入る銘花があるようである。
これをどこまでも進めると、3nは種子が出来ないことから、
Cymbidiumのように育種の壁、崖が出来て、
パッタリと・・・先に進むことが出来ない状態になる。
ラン界の最も危険な落穴である。

ランを交配すると、どうしても・・・審査というものでHCC、AM、FCCを狙いたい。
これを追究すると破産という結果が待っている。
一時期、名花を続出させても、そのあとが続かない。
FCCをとった名花を交配親に使えないからである。
つまり・・・3nのFCC個体は、これで完結、ゴールなのである。
生き物は、次の子孫を作れないものは・・・それで終わり。
メリクロンで、このFCC個体を何万本苗を作っても・・・・子供を作れないから、
先がないことになる!
この法則の前にアメリカの、オーストラリア、イギリスのCymbidium蘭園は、
名花を続出、手にして名誉を欲しいままにしたが、次々に姿を消した。
再起を図ることが出来ないまま沈んだ。
ランで最も高いリスクが・・・・名花を追究する「育種」である。
ランの審査という・・・人間が作った基準、花容に・・・心囚われると・・・・
ランからみれば丸弁、極整形、剣弁など何の意味もないものであるが、
キリスト教文化の人種の美学には、この豊満というのがある。
巨大というものもある。
ランから考えれば、種子を多く実らせる個体が最高なのであるが・・・。

そういうことで宇井清太も、Cymbidiumの入賞花を世界中から集めに集めた。
Cymbidiumでは10年に1個体ほどの割合でFCCが出る。
AM、HCC目ぼしいものはほとんど手に入れ花を見てきた。
そして、ラン界の花の審査というもの、名花の条件を考察した。
しかし、宇井清太は、これに迎合してはならないときめた。
個性が埋没するからである。
花のこころが見えなくなるからである。
名花は・・そう言う危険がある。
蘭展して見ると・・・名花が・・・必ずしも人の心を動かすものではないことがわかる。
それよりも、一輪の花に「物語」があるものが・・・深い味わいがある。
つまり・・・文学性である。
審査から見ると欠点が多い花が、絵を描いても、写真にしても・・・イイということと。
名花の写真集など・・・見飽きる!
美女必ずしも・・・イイ女ではない!!

1960年代から1970年代の前半で世界のCymbidium育種は、
3nの名花は続出し、名花の育種は終ったのであるが、
小型、中型、大型の3nの名花の花は、全て同じ容姿をしている。
解かりやすくいえば・・・・リカステの名花と同じ。
つまり、ランの審査で名花とされるものは・・・・Cymbidium、もカトレアも、
デンドロも、リカステも全く同じ姿をしているということである。
何で、こんなバカバカしいことを・・・メジャーで計測しているのか????
名花を見過ぎると・・・こういう思いが芽生える。
あげく・・・・倒産。
育種するものの顔が、個性が見えない花になる!
同じ両親を、アメリカでも、オーストラリアでも、イギリスでも使うものだから、
でてくるものが・・・ほとんどワンパターンになる。
現在出回っているCymbidiumの鉢物、コチョウランの鉢物、
デンドロの鉢も、カトレアも・・・・個性が乏しくて、見飽きられた。
市場を熱狂させるものは生まれない。
そのような姿になった影に・・・キリスト教文化の花の美学があり、
花の美まで統一しようというラン界がある。
花の審査は、100年、50年前までは、なかなか丸弁の花を作ることが出来なかった。
そういうことで、丸弁花を名花にするのであるが、
今日では、多くのランで丸弁花は簡単に続出する。
いつの間にか進歩している!
美も民族、時代で変化するのであるが・・・・。

そんな美学に異議を持つのが原種愛好である。
日本人の美意識には・・・満月も良いが・・・・三日月にも風情を感じる。
自然と共存して生きる感覚がある。
「野趣」を愛する心である。
だから、野生の藪椿の一輪にこころ寄せる。
野菊に秋を掬うのである。
宇井清太はこの講座で、幾度も原種、山掘り株愛好に言及しているが、
別な見方をすれば・・・原種を愛する愛好こそ・・・日本人の美意識であると思っている。
自生地を破壊し、絶種にランを追い遣ることがなければ・・・・
自然を愛でる・・・・最も日本人らしい美学である。
東洋ラン愛好。野生ラン愛好と
洋蘭愛好。
全然別な文化の美学によって成立つ。
そういうことで、宇井清太作出のCymbidium12000品種は、
宇井清太の美学で選抜した。
したがって・・・審査をしてもらいたくない!
宇井清太が見たい花を作ってきただけのことだから・・・・。
見たい花を原種に求めるのではなく・・・・自分で作り出す行為を行なってきた。
だから育種はランの王道なのである。
非常に高い人生を賭けたリスクを背負うのであるが、オンリーワンのランのコレクションが出来る。
ここまで育種が進めば、これからの育種の方向は、
育種した人の顔が、美学が見える花を作る方向だろう。
そういう花でなければ蘭展で・・・お客を呼べない!
そういうところまで・・・何時でもホームセンターでランが見られるようになった。
名花とて、大量に生産されれば・・・・普通のランでしかない!
原種も同じである。
そこで珍奇、稀少に走るのであるが・・・・そんな稀少で美しい原種など地球に残されてはいない。
さて、未来のランのあるべき姿、審査のあるべき姿・・・。


横道にそれたが・・・本題に戻す。
3n、4nの栽培には、非常に多くの問題がある。
なぜ問題が出るのか????
ラン科植物は植物全体から見ると森林の「負け組み」の植物である。
光も、水分も、養分も、その争奪戦においての敗北者である。
そういう植物が生き残るのは、身分相応に生きる道しか残されていない。
体を小さくして生き延びることを選択した植物である。
ダーウインがいう・・・・
大きく巨大で、強い者がい生き残るのではない・・・・
環境に適応したものが生き残る・・・・。
まさにラン科植物は・・・そういう植物である。
だから小さい、小さいランが・・・秘境で・・・密かに生命をつないで来た。
それを、プラントハンターが・・・拉致して・・・資本主義社会に連れてきた。
ここにランの哀しい運命があるし、資本主義社会の傲慢がある。
資本主義社会というのは「勝ち組み」の社会である。
現在のラン愛好は・・・勝ち組みの論理の中に組み込まれている。
だから、ランの育種でも・・・・
  より強大に・・・
  より大きく・・・・
そういう花を作出したくなる。
ランの進化の理念と全く逆の育種の方向である。
蘭展における賞も同じ。
資本主義社会がもたらした・・・競争社会の理念で行なわれる。
負け組みのランを愛好しながら・・・ランの世界も・・・勝ち組みになる競争である。
ラン栽培も競技化である。
だから・・・賞狙いの株・・・というものまでカタログに載る!
最短で・・・賞を狙う!
更に・・・過去の受賞歴まで調べ上げ・・・・あのランには・・・大賞は二度とこない。
賞の可能性のあるランを読みに読んで・・・栽培することさえも行われる。

ラン展は・・・ラン界の勝ち組みを創ることになる。
だから、後からランを作った人は・・・最短の階段を駆け上ることを考える。
だが、SUGOI-neの開発で、こういう大鉢の栽培というのは普通にできる時代が来る。
10年後、20年後、普通の栽培になる。

特にランの3nは・・・・無菌培養する時コルヒチンを処理でも作れる。
世界のラン界は1960年代に3nCymbidiumで、熾烈な賞ハンターの競争を繰り広げ、
名花を続出させ・・・・そして多くの名門蘭園が破綻した。
しかし、その原因をラン菌削除の肥料栽培にまで原因検索しないで今日まで来ている。
簡単にいうと・・・・安直な科学が、ラン菌から逆襲されたとも言える。
菌根を無視してはならなかったということである。
自然界が作ったオニユリ、バナナなどにはない問題がある。
それは・・・・老化が激しいということである。
一見生育旺盛に見えるが、それは、株が若い時期のことで、
一度株を弱らせると・・・取り返しつかない作落ちが待っている。
つまり、細胞が大きいから、これを維持するエネルギーを2nより多く必要とする。
適地でない場所、夏猛暑、温室の温度管理が適確でないと、
この呼吸作用による消耗が激しく、体を維持できなくなる!
これをどうにかしようとして、多くの肥料を与えれば・・・根腐れが誘発。
更に、何年も花が咲かないという問題が起こる。
つまり、体内の窒素と炭素のバランスを図るのが難しいのである。

3nは肥料を与えると、2nより素晴らしく良く大きく生育するから、
面白くなって・・・どうしても多肥栽培になる。
ランの進化と逆の方向の栽培になる。
これはCymbidiumでも、デンドロでも、リカステも同じ。
新芽が全然出てこない!
こういう株も出てくる。
これではCymbidiumなどの切花栽培では・・・経営破綻になる。
人間が、神の真似して・・・科学理論で作った3n品種は、
こういう場面で大きな欠陥を顕す。
3n植物、ランの光合成と呼吸の問題。
エネルギーの製造と消費が、2n個体と異なり、肥料の吸収も異なるからである。

3nのアンチエイジングはどうすればよいか?????
SUGOI-ne開発には、この3nの貴重な個体の保存をどうするかという問題が含んでいる。
3nの老化の問題である。
巨大な体の老化防止。
相撲取り・・・・何杯ご飯を食べる????
これと似ている問題である。
普通の人の何倍もエネルギー源のメシを食べる!
ここにSUGOI-neのラン菌が重要な意味をもつ。
葉の光合成のエネルギー(澱粉)のみでは、大きな体を維持、持続できない。
肥料で作られた巨体なら・・・・尚更である。

ここまで書けば、この講座を読んでいる人なら・・・・宇井清太がなにを書こうとしているか・・・
直ぐにわかるはずである。
宇井清太がCymbidiumを地植え試験している意味が解かるはずである。
自生地の大地の枯れ葉から・・・・ラン菌が調達する「糖」「糖質」。
これを利用すれば、巨体の3nランも・・・アンチエイジング可能である。



  
その貴重な実例 クリック1  SUGOI-ne 驚愕の生育
         宇井清太の炭素循環ラン栽培  ワンダー写真


 3n、4n(倍体)品種の栽培は、
 農業ではブドウで多くの品種で行なわれているが、
 2nのブドウ栽培技術と巨峰などの栽培には大きな違いがある。
 これと同じように。デンドロ、Cymbidium、リカステ・・・などの栽培も、
 2nの品種とは・・・大きく違うことがある。
 それは・・・窒素の問題である。
 窒素の吸収が2n品種より貪欲に吸収すること。
 デンドロの4倍体品種で・・・花芽の分化が難しいということが・・・それである。
 更に・・・3n、4n品種は・・・晩生種がほとんどであること!
 この晩生ということが・・・花芽分化に大きく影響する。
 秋までに充分充実しないバルブになること。
 四季の変化に鈍感なのである。
 肥料を与えれば・・・・遅くまで吸い続ける!
 こういう株に肥料を与えれば・・・・高芽。
 SUGOI-neで雨だけで・・・無肥料で作ると、3,4倍体のデンドロでも、
 花芽は付く・・・・。
 春の芽出しの時期の問題もあるが・・・・。
 これは、Cymbidiumでも、リカステでも同じである。
 株分けした時の作落ち。
 大きな細胞が生きるのは多く呼吸作用してエネルギーを作る。
 つまり、貯蔵澱粉を多く消費して・・・衰弱する。
 これを、栽培技術ではカバー出来ない。
 適地適産が3n個体には非常に大きな意味を持つ。

 SUGOI-ne。
 こういう3n、4nのランには最高のコンポストである。

 ラン菌の菌糸が、3n個体に大きな力を発揮する。
 
 

kouza 1gr

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3倍体、4倍体ラン、植物と     
           ラン菌による炭素循環栽培について