なぜラン難しい????
これは・・・ランが謎に満ちているいるからである。
ランと人間の女性。
謎に満ちている・・・・。
ラン栽培と、女性を比較すれば・・・・人間の女性の方がもっと難しい。
謎に満ちているからである。
SUGOI-neの開発で、どうにかラン栽培は・・・努力と誠意にランあ応えてくれるようになった。
しかし・・・・女性は・・・素直に応えててはくれない場合が多い。
横道にそれたが本題に戻す。
ランが難しいのは・・・・ラン進化過程で、今尚・・・・かたくなにラン菌との共生を捨てないからである。
他の多くの植物は、光合成で自分で自立して生きることが出来るように進化した。
しかし、ラン科植物は最も進化した植物であるが、ラン菌との共生を行う。
視点を変えれば、光合成で生きる植物は進化の進んでいない下等な???・・・植物。
エネルギー獲得が一つのルートのみだからである。
しかし、このような植物でも、菌根ではないが多くの微生物と共生することが解かってきた。
それらの植物が菌根植物になる前段階の・・・菌根植物に進化する過程の状態なのか。
Cymbidiumには腐生ランまで存在する。
カトレアには腐生ランはない。
デンドロ、パフィオ、ファレ・・・にも無い。
なぜ・・・Cymbidiumに存在するのか?????
ラン作りの人は・・・Cymbidiumが大衆に広く普及しているから、
Cymbidiumはランでない。
そういう考えの人がいるが、実際に栽培してみるとCymbidiumほど難しいランはない。
ラン作りは、Cymbidiumに始まってCymbidiumに終る。
つまり、Cymbidiumに腐生ラン・・・マヤラン・・が存在することを知らない人が、
Cymbidiumを簡単に栽培出来るランだと思っているに過ぎない。
Cymbidiumが上手に作れるようになると、他のランは無造作に作れるということ。
Cymbidiumは最も環境に鈍感に見えるが、
最も敏感なランである。
Cymbidiumの遺伝子に腐生ランの遺伝子が含んでいるからであろう。
植物工場の人達の話では、
植物工場で栽培できない植物はないといっているようであるが、
菌根のこと、腐生ランのことを知らない人達である。
園芸で最も難しいことは何か。
それは、ランの共生菌発芽からの栽培である。
用土にランの種を撒いて発芽させることである。
鉢、土壌にランの種を播いて発芽させ、それから開花まで行う栽培。
これが園芸の中で最も困難で難しいこと。
現在の園芸家の中で、これを確実にできる人は皆無であろう。
なぜなら、ランあ菌根植物だからである。
ラン菌の生息しない用土に種を蒔いても発芽することはない。
このことがあって、最も美しい花を咲かせるランが・・・・
バラのように早くから交配され育種されることは無かった。
1853年・・・日本に黒船が来た年まで・・・人間がランを発芽させることは出来なかった。
それまでのラン栽培は、プラントハンターによる自生地からの山掘り株によるものであった。
このことは、現在でも無菌播種法による難発芽性のランが、
もっぱら山掘り株が販売され、山堀り株が・・・・特別扱いされて崇拝されている。
この崇拝は・・・・19世紀の名残である。
プラントハンターの採集の仕事が・・・本当に崇高な職業なのかどうかは別にして、
ラン菌の生息しない用土でのラン栽培は、プラントハンターを必要としたのである。
ウナギ養殖に天然のシラスウナギ捕獲が必要なのと同じである。
このウナギも、2010年4月に、ウナギの完全養殖が成功した。
近い将来、天然のシラスウナギの採集を必要としなくなるだろう。
宇井清太のSUGOI-ne開発で・・・・W芽に増殖するから、
現在日本国内にあるラン原種株で、需要は賄えることになる。
プラントハンターという職業、仕事は必要なくなるかもしれない。
原種の輸入という仕事は必要なくなるかも知れない。
21世紀のランというのは・・・・自生地を再生するというプロジェクト、プログラムの時代であろう。
これが、最も価値があるし、難しい仕事であろう。
こういう正論を書くと、日本人は嘲笑うものがいるが・・・・
ランという植物は自生地では・・・自然の法則、正論で生きている植物である。
植物の世界は人間社会の政治、商売のワールドではない。
ラン菌が生息しているか、生息していないか・・・・この一点で決まるのである。
宇井清太のラン菌発見。
SUGOI-neの開発。
それで・・・宇井清太は数種類のランの発芽に成功した・・・。
けれども・・・プロトコームの形成までは困難を極める!
このことを体験すれば・・・・原種を山どりすることが、いかにとんでもないことをしているか。
そういうことを思いしらされることであった。
逆いいえば、ランの種子蒔いたこともない人、業界ほど、
山堀りするということである。
原種を作らない者は・・・ラン栽培とは言わない!
こういうことを言う馬鹿な連中まで出現した。
他国の山から大株を掘ってきて栽培することが・・・本当に高級な・・・
崇高なラン栽培なのか????
18世紀、19世紀ならまだしも・・・・。
その時代のプラントハンターには・・・生命を賭した探検と探究心があった。
ランにたかる蠅と揶揄されても・・・新種の発見に少なくとも執念を燃やした。
現在はどうか・・・???
ほとんど新種の発見はない。秘境はない。
昔のプラントハンターの足跡をなぞるだけである。
ラン以外の植物の種子にはほとんど「胚乳」がある。
この胚乳というのは前年の太陽エネルギーが保存されたもの。
翌年の、子孫が使う燃料を植物は自らの工場(葉)で作り、確保、備蓄する。
それが子孫繁栄につながるからである。
このエネルギーで発根、芽生え、ある大きさまで・・・このエネルギーで生育できる。
つまり、胚乳と言うのは、炭素循環の炭素の貯蔵庫である。
この炭素を燃やして植物も生育する。
しかし、ランの種には「胚乳」がない!
燃やす炭素が・・・ランの種子には準備されていない。
とんでもない進化をしたものである。
この炭素。
ランはどこかで調達しなければならない。
自らの葉で作った燃料を種子に保存するということを削除した植物。
なぜ、こういうことをしたのか。
子供に財産を相続しなかった植物がランである!
その種子は・・・ 燃料調達をどこからかしなければ発芽できない!
しかし、ランの自生地には自然界の微生物による巧妙な炭素循環システムがある。
このシステムの中にある炭素。
ラン菌が枯れ落ち葉を分解してできる糖。
これを燃やす。
コノエネルギーで発芽する。
したがって、鉢に
枯れ落ち葉のようなラン菌が分解する植物の死骸。
ラン菌(材木腐朽菌)
この二つがない鉢ではランを発芽させることは出来ない!
これまでの園芸では、鉢に二つの条件を作ることは出来なかった。
鉢にラン菌による炭素循環を構築出来なかった。
この鉢内に炭素循環を構築させることが、最も難しい。
だから、ラン栽培というのは、ラン栽培以前に、この炭素循環を再現しなければならない。
このことが、これまでの園芸技術では出来なかった。
ラン菌入のコンポストがなかったからである。
ようやくSUGOI-neが開発された。
しかし、このSUGOI-neでも、ランの種子が発芽させることは容易ではない。
胚乳のない種子が発芽すると言うのは、人間の未熟児を育てるより、
もっともっと難しい。
ラン菌との共生というのは、微妙な関係のようである。
SUGOI-neが開発された現在でも、ランが発芽する環境を作るのは簡単ではない。
最も難しい技術である。
常に、細心で、微妙な湿度加減が要求される。
最適な湿度条件が、未だに全然解明されていない。
手探りの状態である!
自生地では、例えばCymbidiumでは1果に多いものでは約30万の種子ができる。
この種子の中で、運良くラン菌と共生できるものは1,2個であろう。
自生地では、多くの株が自生しているところも希にはある。
しかし、この密度は何十年、何百年経過した姿である。
年月の積み重ねの結果の光景である。
カネで大株をコレクションした愛好家の温室、蘭舎の光景とは異なる。
ここに山堀りがビジネスとして成立つ。
SUGOI-neが開発された後でも、鉢に種を播いて発芽させるのは至難な技術である。
ランの種類によって、炭素循環で作る糖、養分の濃度要求に大きな差がある。
実験ではサギ草が最も少ない条件で生育する。
以上のようにランの種類によって、大きく異なるから、ややこしくなる。
ラン栽培は、SUGOI-neが出来ても、最後は栽培者の感性でものをいう。
日々感性を磨く積み重ねである。
ラン菌削除のコンポストで磨いてきた知識、経験、技術は、
炭素循環のものではない。
SUGOI-ne栽培では、一から再出発する必要がでてきた。
全部捨てて・・・研究しなければならない。
全部捨て去ることの出来る人が・・・・本当のラン栽培者になれる!
SUGOI-neの開発で、ランに新世界が拓かれたからである。
ラン栽培の新世界である。
21世紀のラン栽培は・・・SUGOI-ne栽培に定着する。
究極の自生地再現栽培法である。
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