グループ1
ヒマラヤ、ミャンマー、タイなどの標高1000−2500mあたりに自生する着生、半着生、地生種、植物体は比較的大きく、花茎を直立、またはアーチ状に伸ばし大輪の花を咲かせる。今日の大型シンビの親として交配に用いられた。自生地の夏は日中の温度は高いが夜間は気温が下がる。
このグループにはエブルネウム、ギガンチュウム、インシグネ、ロウイアヌム、トラシアヌム、エリスロスティラム、パリシーなどが含まれる。
グループ2
ヒマラヤ、ミャンマー、タイ、マレー半島、フィリピン、オーストラリア北部などの熱帯低地に自生する着生種。多くは硬い肉厚の葉を持ち、小さな花を下垂して沢山咲かせる。アロイフォリウム、カナリキュラタム、フィンレイソニアヌム、シムランスなど。
グループ3
中国、日本、韓国、台湾など温帯に自生する地生種。いわゆる「東洋ラン」はこのグループに入る。春ラン、カンラン、ホウサイラン、スルガランなど。
 
 東洋ランの分布
 第1グループの分布
 シンビジュウムの分布
シンビジュウム属はモンスーン気候の熱帯アジアを中心に、北はヒマラヤから東は日本、南はオーストラリアの北部まで広く分布します。原種は約70種ほど知られています。
Cymbidiumは自生地や性質から3つのグループに分けることが出来ます。
 シンビの自生地 原産地
シンビは一つの原種も自生していません。
ランの原種は26000以上あり、それぞれのエリアに自生しているのですが、ヨーロッパにはいわゆる五大属といわれるランは自生しません。18世紀以降にに移入されたものです。ラテンアメリカにはカトレア系の一族が自生しています。シンビ、デンドロ、パフィオ、ファレノプシス、などはアジア圏のランです。

アメリカ、ヨーロッパにシンビの原種はあるの・・・・?

ランを語るとき池田成功氏の名前は不滅ですが、池田氏はパフィオ界では世界的な育種家です。戦前のランの研究家は全てのランに興味があり、池田氏もシンビも栽培した。そして、世界で最初にpumilumを交配親に用いてOisoをRHS登録し、シンビの分野でも素晴らしい業績を残した。シンビの小型、中型品種の先鞭をつけた。
今日の鉢物シンビの源流に池田氏のOisoがある。

シンビと池田成功氏

らん菌を利用した播種法は英国のドミニー博士によって1853年に成功しましたが、無菌培養は1910頃、米国のナドソン博士によって開発された。ラン菌の菌糸が種子に供給する養分は糖分であることが解明され、培養基に多量の唐分を加えることによって成功した。この無菌培養は、コッホの細菌培養の技術が利用された。
この培養基の研究、技術は1960年にメリクロンの成功に繋がった。
シンビの無菌培養は・・・
ランのクローンは1960年、フランスのモレル博士が成功した。このとき実験に用いられたランはシンビジュウム、カトレアなどです。モレル博士はランのクローン技術を生長点Meristem,個体Cloneを合体してMericloneと命名した。
ラン界ではモレル博士の業績を称えてクローン技術で生産された苗をメリクロン苗という。
日本での成功は1968年頃です。最上オーキッドガーデンは草分けです。
シンビのクローンの成功は・・・
夫人の育種活動の時期は日本のラン界の揺籃期で、九州の小川シンビジュウム園で夫人のコレクションの多くの品種を輸入した。最上オーキッドガーデンでも非常に個性的な美しい品種をコレクションした。現在残っている品種は
Chips,Chiquita,Dag,Jana,Jill,Lady Bag,Magic Flute,Nonna,Orchid Coference,Pipeta,Tommyがある。このような花は本来なら日本人が創らなければならなかった。今でも、このように美しい花は少ない。時期を見て、ガラパゴス パビリオンで特別展を掲載します。
Mrs,H,Ireland夫人のCym品種 
ランの育種家はほとんど男性ですが、Cymでは一人の優れた女性育種家がおります。
米国のMrs,H,Ireland.彼女のRHS登録は1961−1972年の期間に60交配の登録です。米国のCym育種の黄金期の多くの優れた男性の育種家の中で、燦然と個性的な交配を行い、女性の感覚の銘花を続出させた。
日本にも多くの品種が輸入されている。
シンビの女性育種家は・・・・・
Cymbidiumも種子が芽生えて生長して花を咲かせ、やがて老化して枯死するのは他の植物と同じです。
Cymは受粉して種子が熟すのに約一年、プロトコーム状態で一年、ここから発芽して花を開くまで4−10年。このサイクルをCymの一生ともいえますが、Cymは条件さえ良ければ何百年も生きられるのです。シンビは1−2年で新しいバルブを形成継代して生きつづけます。
シンビの一生は・・・・?
Cymの原種には葉の持たないシンビがあります。インドのシッキムなどに自生しているマヤラン(学名      )です。
Cymには日本春ラン、カンランのように、種族保存するに種子、バルブの他にリゾームを持つものがあり、このリゾームは光合成を行うことなく、地中の腐植から栄養分を摂って生きています。春ラン、カンランを無菌培養したとき、培養基の中で何年もリゾーム状態で生き続けます。地中は暗黒なので、この状態を再現するためにパフィオ、シンビなどでは、暗黒条件下でフラスコ培養する場合があります。ランの進化上でこの腐埴性の発生、種子とラン菌の共生、プロトコームの発生は興味深いものです。Cymが植物の中で最も奥が深いのは花の美しさだけではありません。上記のように植物進化上から見ても究極の多様な方向を一属でもっているからです。例えば、カトレアにはリゾームはありません。
他のランでリゾームで生きるものには日本原産の「ツチアケビ」があります。他の植物ではナンバンギセルがあります。根菌との共生で生きる植物です。ランは植物進化の頂点にありますが、原始生物の菌と共生していることになります。
ランの無菌播種法における培養基の糖分は、腐植に含まれる糖分を代換したもので、プロトコームは葉緑素の発生しない暗黒条件下でも、糖分があれば生存出来るのです。
葉のないシンビはあるの・・・?       
Cymbidiumには腐植性、地生、着生Cymがありますが、進化上から考察すると着生植物であっようです。根の構造はほとんど着生ランのバンダと同じです。実際にバンダと同じように作れます。Cymの原種の中には樹上で着生しているものも多く、lowianum,devonianu、tigrinumなどですが、地生ランのCymの根の構造に変化はありません。冬期に多湿にすると根ぐされを起こすのはこのためです。
シンビの根は気根・・・・?
nano5    宇井 清太 RHS登録一覧
登録者 会社名       登録数     登録年期間
登録者 会社名          登録数    登録年期間     
1853年から現在までのCymのブリーダーの登録数です。
英国の栄光を背負ったMcBean’sは、21世紀を待たず姿を消した。1950−70年代素晴らしい品種を作り、世界のラン界をリードしたStewarat Inc,Dos Pueblos。登録年期間を考察してください。
19−20世紀の前半をリードしたSanders,Alexander’s,Low’s.育種は現在でも大変なのに、当時の困難さを思えば、新種作出の情熱、執念が見える。Mogamiは未だ道は半ばであるが、これからである。
13 Ezi−Gro ・・・・・・・・・・ 160   1992−1995
14 Bailey’s ・・・・・・・・・・  160   1985−1999
15 Adelaide ・・・・・・・・・・・ 150   1975−1988
16 Gallap & Stribling ・ 125   1958−1983
17 Greenoaks・・・・・・・・・・ 125   1942−1977
18 Santa Barbara’s ・・・・120   1963−1992
19 Wondabah’s  ・・・・・  120  1960−1986
20 Bailey、W,D・・・・・・・・  120  1993−1998
21 Low’s・・・・・・・・・・・・・  110   1914−1966

               1999年現在 
1 Valley Orch ・・・・・・・・・・ 430   1973−1997
2 McBean’s ・・・・・・・・・・・ 350   1912−1995
3 Stewart Inc・・・・・・・・・・・ 290   1954−1983
4 Sanders・・・・・・・・・・・・・  280   1856−1957
5 Mukoyama・・・・・・・・・・  240   1982−1999
6 Dos Pueblos・・・・・・・・  230   1950−1985 
7 Rod McLellan Co・・・  200   1954−1994
8 Alexander’s ・・・・・・・・  190   1927−1947
 Mogami ・・・・・・・・・・・・ 180    1993−1999
10 Sherman・・・・・・・・・・  170    1949−1966
11
 Geyzerland’s・・・・・・・  170   1983−1989
12 Batchan,L ・・・・・・・・・ 170   1992−1997
  
CymのRHS登録の世界ランキングは・・・・・・・・?
項目は追加します。
シンビの蕾のとき子房、花ビラ、ガクの基部から水滴状のものが出てきますが、これは蜂蜜のように甘いですが、この出る条件は2つあります。潅水した後に出る場合と、極度に空中湿度が低くなった時です。空気が乾燥したとき苦しくて出すようです。この場合数日続くと落蕾してしまいます。
シンビの蕾花の水滴は・・・・?
ナメクジ  メタアルデヒドが特効薬   油粕、米ぬかに5%、生ビールを加えたものを1uに5g程度置く。
夜盗虫   秋咲きのステムを食害。 DDVP散布。
アブラムシ DDVP散布。
ダニ    ダニ剤散布。
シンビの花を食べる害虫
alofolium,bicolor,eburneum,elegans,ensifolium,erythrostylum,grandiflorum,i’ansonii,insigne,lowianum,mastersii,parishii,schroederi,tracyanum,
canaliculatum,devonianum,faberi,findlaysonianum,gyokuchin,hoosai,lancifolium,longifolium,kanran,madidum,niveo−marginatum,pendulum,pumilum,sinense,suave,suavissimun,tigrinum,virescens,赤芽ソシン、ギョッカラン、シンチクソシン、
東洋ランとしてのCymはRHSで、植物分類学上で、正式に固定種と認定されていないもの多く、変種に名前が付けられているものが多い。 
シンビの交配に使われた原種
表紙へ
1  蘭茶・・・・・・・中国春蘭、日本春蘭を乾燥して茶にする。
2  蘭の漬物・・・花を塩漬けにして保存。
3  原種のロイヤナムを自生地の人は油いためにして食する。
      シンビのほとんどの花は苦味が強く食材に向かないものが多い。
シンビの花の料理法
シンビの花の色はアントキアン、カロチン、葉緑素などで出来ているので、光に非常に敏感に作用します。温度も多きな条件になりますが、前記の最適温度であっても光の量、質で変化します。光が強ければ葉緑素で出来ている緑花は黄緑色になります。緑花は葉緑素にアントキアン色素が加わって出来ているので、光が強いと茶色花になります。白花はピンクが入り、黄花は色褪せ、ピンク花は色濃くなります。極端な強い光は非常に花を痛めます。
シンビの花と光
シンビは虫媒花です。冬が過ぎて温かくなり昆虫が活動を始めるのを待って開花する。この自然の法則から考察すると、最高温度が20度c,最低温度7−8cです。この温度で実際栽培してみると、交配したとき最も実を結びます。一般の方は交配しないので受粉のことを考えなくともいいですが、交配すれば、ラン栽培もスイカ、メロン、りんごなどの果実を取る作りかたと同じになります。実の結べない花は花ではないのです。
高温で栽培した場合はほとんど実は結びません。

シンビの開花適温
自然の法則では受粉が終れば花はしおれる。
洋ランのシンビは日本では1−3ヶ月も咲いているのは受粉出来ないからです。その理由は、洋ランのシンビを花に見える昆虫が日本には一種類もいないからです。私のハウスはサクランボ畑の中にありますが、サクランボの満開のときは、サクランボの花に多くの昆虫が訪れるのに、私のハウスはシンビが満開なのに全然来ないのです。つまり、日本の洋ランのシンビは結婚出来ないのです。何ヶ月もの間、昆虫の訪れを待って、待って・・・・いる姿が、長く咲いているように見えるのです。
小倉 遊亀 画
蘭、梅、菊、竹、そして松は会話するのは
同じ品格があるから・・
シンビはなぜ長く咲く・・
ランを国花にしてる国は他にもありますが、旧満州国は中国春蘭を国花にしていました。
満州には中国春蘭は自生していませんが、皇帝が蘭を好きなので国花に定めた。
シンビと国花
三つ蘭の丸、向かい蘭菱、蘭の花・・・・
蘭と紋所
シンビの花は、シンビのみで飾るのが一番美しいです。他の花では、やはり四君子の竹、菊、梅、そして松と会話します。いけ花はこれらの花と非常に合います。他の花ではあまり会話しません。シンビには儒教の「和して同ぜず」が宿っているようです。
シンビと会話する花
1  切り花をしたら水切りしてください。
2  数日に1回位茎の切り口を新しくするために水切りしてください。
3  暖房の部屋では、乾燥した温風の当たらないところに」飾ってください。
4  過敏の水が温まる時期は氷のひとかけらを入れ、水を新しくして下さい。
5  特に大切なことは、暖房の時期は2−3回ほど霧を軽く与えてください。
6  直射日光の当たらないところに置いてください。
7  炭酸ガス、亜硫酸ガスは特にわるいです。
切り花を永く保たせるには
明治になって洋ランが輸入されるまで「蘭」といえばシンビジュウムを指した。
蘭から生まれた言葉は、前記したように儒教の精神性から生まれた言葉が多い。
  
  金襴のちぎり、金襴の友、蘭質、蘭麝、蘭省、蘭台・・・・など
 蘭(シンビ)から生まれた言葉
アルストメリア
ユリ
チュウリップ
 シンビの花を見ると、ユリ科の花と多くの共通点があることに気づきます。
 ユリ科の中でもアルストメリア、百合などに非常に近く感じられます。ランか科植物は約300−500万年前生まれたといわれて います。これは人類が生まれた年代と同じになり、人類が動物進化の頂点ですが、ランは植物進化の頂点にあります。ランの祖 先は百合の類と考えられています。百合の類から進化したものにイネ科植物があります。イネの葉とシンビの葉が非常に似てい るのはその為です。
イネは風媒花に進化し、ランは虫媒花に進化したのです。祖先は同じでも子孫を残す発想の違いが、このような変化をもたらしたのです。花が美しい、美しくない・・・・と評価するのは人間の感覚で、植物にとっては子孫を残す・・・・この一点で花を開きます。

シンビの花芽も最初は百合のように頂点の芽が花芽でしたが、環境の変化(主に低温化)でだんだん基部に近い下の芽が花芽になりました。熱帯性のシンビであるエリスロスティラムの交配種の中には先祖帰りして、頂点の芽が花芽になることがあります。

シンビの花では、ユリの痕跡が残るのは、Lipの裏側の光沢、細胞に顕著に表れています。AOS,RHSの審査基準にシンビの花びらは蝋質のものが上質と記しているのは、ユリの花弁と同じような弁質を指しています。テーマパビリオンで特集しているシンビのスプラッシュ、端紅、斑点、縞筋花は、ユリの花、アルストメリア、チュウリップとそっくりなのです。

 花びらに残る進化の跡

シンビの祖先はユリ・・・・?
奥村 土牛 画
片山南風 画
西欧にもラン科植物は多く自生していますが、今日の洋ランの主要な属は自生しないので、ランが西欧で美術に取り上げられるのは19世紀になってからである。大航海時代以後世界各地から西欧に植物が集められ、その中にランも含まれ、19世紀に温室が出来ると貴族の間でラン栽培が盛んになる。イギリスにRHS(王室園芸協会)が設立されたのが1853年。この年、ランが人間の手で初めて発芽に成功する。
カトレアなど絵に描かれるのはマネ以降である。19世紀の後半、ガレによってガラスに洋ランが描かれるのは、西欧の貴族の温室でラン栽培され花が咲くようになってからである。その当時パナマ、スエズ運河も出来ていないので、アジアのランはアフリカ南端の嵐の海を越えなければならなかったので、エミール ガレのガラスは最先端のモチーフだったのである。しかし、ガレの作品にはシンビは描かれてはいないのではないか・・・・・?

ボタニカルアートはシーボルトノ植物画などが著名ですが、ランでは池田成功氏がイギリスのキューガーデンに留学中にサザビーのオークションで入手した世界に一点の名品がある。現在、池田氏の寄贈で山形県の博物館に所蔵されている。

日本画としては、明治に入って横山大観の「屈元」の名作に中国春蘭が描かれている。
日本でも洋ランが大正時代になると栽培が盛んに貴族の中で行われるようなると、花鳥画のモチーフに取り上げられるようになった。小茂田青樹に大作がある。
日本のボタニカルアートでは京都の加賀氏の大山崎山荘で栽培された洋ランの「蘭花図」(加賀正太郎著 1946)が著名です。
日本の洋ランは戦争でほとんど絶滅。戦後、洋ラン栽培が盛んになるのは、昭和30年代の半ばからである。日本画に多く描かれるようになるのは昭和40年代になってからである。奥村土牛、小倉遊亀、片山南風などに佳品がある。漆芸では音丸耕堂のカトレアシリーズ、寺井直次などに東洋ランの佳品がある。陶芸では、多くの作家が胡蝶蘭を描いているが、シンビを描く作家はいない。気品がでないようである。シンビは大衆化されるにつれ、ギフト用の鉢は描いても絵にならないようで、シンビの持っている品格は顕せない。近年の日本画には名作はないようです。やはり、シンビは水墨画に合う。
私のこのホームページでは、ギフト用のシンビではなく、飽くまでも、私の目線で撮った写真を掲載していますが、なかなかシンビの品格、韻、が撮れないので苦労しています。40年作って、自分が創った花ですら・・・・・というところです。
ランと美術を語るとき最も重要なランはシンビジュウムです。
ランをモチーフにして絵画、陶磁器、ガラス、漆器、木工などに描かれてきましたが、シンビジュウムといえば水墨画である。
前記の四君子のところでも記しましたが、シンビは画人にとっては自分の精神、生きざまを描くことである。これは他のモチーフでも同じであるが、中国では蘭(シンビ)といえば「孔子」を指すので、儒教の精神性を宿す絵出なければ駄作ということである。

蘭の美を最初に発見したのが「孔子」といわれています。孔子(前551−479)が魯の政権に使えたが入れられず辞して祖国を去り、門人を引き連れて約14年間70余国を歴訪。山東省曲阜鬨里で儒教を確立。
孔子の「家語」に「蘭は野草中に咲いていても、その素晴らしい薫りは野を満たす・・・・・蘭は金銭でその姿を変えることはない」。このときから、蘭は儒教の中で特別のものになった。日本に孔子の儒教は4世紀に入る。遣唐船、遣隋船で中国からおびただしい水墨画が渡来した。室町時代の画家梵芳に重文の「蘭石図」がある。江戸時代には文人画家の渡辺崋山、池大雅、池玉澗などに名作が残されている。
洋ランが日本に入って来たのは明治に入ってからで、それ以前は「蘭」といえばシンビの春蘭、寒蘭、一茎九花・・・・などです。江戸時代には優れた植物図譜があり、徳川秀忠が描かせた「花くらべ」には椿の100品種が克明に描かれている。享保年間には近衛いえひろの「草木真写」には123種の花が気品高く描かれている。この中の43種が外国産の花で、カンナ、さんざし、夏水仙、鳳仙花、しゃら、などがえがかれている。1854年には、成田屋留次郎の「朝顔図譜」が発行される。この図譜は今日のカタログでもあって、珍種の種子まで販売したといわれる。同じ時期に英国にRHSが設立された。西欧のボタニカルアートは、専門の「人が描いたが、日本の図譜は、絵師であるが一方で科学的なものを持った者が描いた。
19世紀時代の江戸は、身分制度を越えて、旗本、庶民、町民の間でサークルとしての園芸が行われ、朝顔、マツバラン、長生ラン、万年青、風ラン、花菖蒲、など園芸が非常に盛んになる。現在の大量生産とは違って、小さな変化、変異を掬い、それを評価する素晴らしい文化があった。
この感覚が現在もパフィオ界に流れているいるようである。日本はそういう国である。私がCymを素晴らしいと思うのは、Cymの美の領域はあらゆる草木の中で、最も深く、広いと思うからでです。
そのような感覚の日本が明治になり、日本の遺伝学は「朝顔」から始まったといわれる。そして、洋ランが輸入された・・・・・・・。

 omosiro pavilion 2