宇井 清太のシンビは・・・・・・

 透明感 日本の春
  
障子紙を通した光・・・・日本の光、東洋のモンスーン気候の光ではないか・・・・。
狩猟民族と農耕民族の美的感覚には根本的な違いがあると想う。
花の美しさを掬う根本が異なると想う。
 
私の育種の根本に「日本の春」があると思う。シンビは飽くまでもオリエントの花である・・・・と思う。 

経営の効率を考えれば、どんな花が咲くか解らない育種はあまりにリスクが大きく、個人が大規模に行うのは無謀に近い。
だが、サンダースリストを見れば、その無謀に挑んだ者達が今日のラン界を築いてきたことを記録している。思えば「夢」を手に掬うにリスクを恐れては・・・・何も出来ない。
ラン界はメリクロン技術が開発されると、育種の方向は人間に有用な品種の開発に主眼が置かれた。特にシンビでは、膨大な多様な品種の中から一部の品種を大量生産することになった。このことは、ランの多様な進化と逆の方向である。遺伝子の保存は地道な仕事で「金にならない」。


 種の多様性を発展そして保存
  効率追究は種の絶滅を招くーーー

 IT時代だからこそ・・・3000品種が生きてくる!!

近頃、ラン展を見ても、売られているランを見ても面白くなくなった・・・・の声が聞かれる。
ワンパターン、平準化、没個性、前例、横並びがこの国を形ずくってきました。付和雷同がブームを作ってきた。

世界のラン界を見ると、ものすごく多くの人達が育種している。
日本では・・・・サンダースリストに名を残しているいる者は少ない。残念でなりません。
ランの育種は小手先では出来ない。特にシンビは・・・・・。

ランの育種は駅伝である。
世界を見ても2代、3代と続けているいる蘭園は極めて稀である。
育種は創作活動だからですが・・・・・。
交配する時の高揚した気持ちを長い年月持続するのは難しい・・・・。努力の結果が読めないので、非常に無駄なことをしているのではないか・・・・・疑心暗鬼になる。この克服との闘いが育種の仕事になる。栽培の全ての技術をマスターして、なお、自分の感性に自信が持てない苦しみが育種のしごと。この苦しみを楽しみとしないと継続できない。


最上オーキッドは最新のシンビを発信します

私の寒河江市はかってメリヤスセータの大産地であった。
一つのデザインで何十万枚も織った。それが面白く売れた時代があった。今から20年前のことである。
今は、一つのデザインで多くて10枚、20枚の生産である。大量生産品は全部外国で生産され、寒河江市のメリヤス業は全滅に近い状態である。
この一つのデザインで大量生産することは・・・丁度、ランのメリクロンの大量生産と同じである。

大量生産の落とし穴

生産主導で行われた日本のランの流通は、時代の変革について行けない状況に陥っている。今、分業方式に馴れた日本の生産は、あらゆる分野で外国の製品に圧されている。ラン界でも、育種、苗生産、製品生産の分業方式が定着しているが、ラン園各自のオリジナル品種を開発出来るラン園は極めて少ない。

平成13年、ヒトゲノムは全て解読された。

遺伝子の解読は熾烈な競争時代に突入している。新品種開発は今後熾烈な競争の時代になる。
日本は今後急速にネットが整備され、2−3年後には日本の全世帯がネットで結ばれるという。今は、そのような時代になっている。消費者が、最新の情報、ランの新品種を知ることが出来るようになる。

現在は、花店に「最新品種」として売られているランは、本当は育種家から見れば少なくとも10年前の品種である。ランの品種開発には長い年月がかかるためですが、それが、ネット時代は最新の品種が育種家から発信され、瞬時に世界に流れることになる。

このような時代の流れの中では、これまでのような規格化された大量生産方式のラン栽培が成立するのは難しくなるかもしれない。大量生産は大量のロスを生む。低価格、暴落を生み、経営は難しくなる。
最上オーキッドは、この新しい時代の風をとらえて、世界最新の花3000品種を惜しみなく発信します。


日本は急速にネットが整備される

MOGのアドレスは7000名の方にお知らせしております。

栽培技術が平準化したいま、フラワービジネスの「基」は品種が全てになっている。

栽培技術の産地間競争ではない。

ネット時代は「品種」がビジネスを制する時代である

時代は変わったのである!!
ネット時代は、瞬時に素晴らしい品種の情報が世界に流れる時代である。
私の、最も新しい品種を多くの人々が画面の中で愛し、こころ揺らすことが出来る時代になった!!


、MOGは、長い沈黙を破り、
         ネット時代の最前線を創る・・・・!!

 MOGはフラワービジネスの「基」を創る!!
IT時代は、育種家新品種を瞬時に世界に
発信
出来る時代!!
ネット時代は瞬時に世界に情報を「個人」が発信出来る!!

このことは、オリジナルの物、情報を持った者が輝いて生きられる時代といえる。
私は十数年前、全国のシンビ栽培者に、栽培面積の20%を新品種開発に当てることを提唱した。新品種開発なくしてラン界の発展はないからです。だが、現実は・・・・

私は、このような時代の来ることを予測して黙々とシンビの育種に全てを傾けてきました。「異能」と「唯一」のシンビを創ることに私の全てを注いできました。そして約3000の新品種を創りました。

シンビの育種で最も重要なことは、「不易」と「流行」の両方の品種を創ることである。

「不易のシンビ」は前記したように「遺伝子の保存」としての育種。
「流行のシンビ」はビジネスとして有用な品種の育種。

この「不易」と「流行」と21世紀のネット時代。このこを考えると「唯一」と「異能」のシンビということになる!! ネットの急速な普及は「横並び」の意識を急激に変化させるかもしれない。20世紀は規格化されたものを大量に生産し、大量に消費する時代であった。特に日本はバブル時代に頂点に達した。
日本のラン界はこのバブル時代に大量生産し時代の要求に応えた。
今、時代は変化し、ランの規格品、大量生産品は魅力の少ないものになってきました。息をのむ・・・ような感動がなくなりました。こころがゆれることがなくなりました。
日本のランは時代に遅れるのであろうか・・・・。日本のラン界の最も弱いところは「育種家」が少ないことだから・・・・

ネットの普及は、より「個性化」「オリジナル化」が進む。
ネットは瞬時に新品種を世界に発表できる!!

このことは優れたオリジナル品種、発想、情報を持たない者は生き残れない時代になる。
逆にそれを持つ者の時代が来たことを意味する。ランの世界も同じである。
新たなシンビの流れが生まれるかもしれない。
私の3000品種は、ネット時代のシンビである。「唯一」と「異能」のオリジナル品種という意味で。

息をのみ・・・・心揺れるシンビ!!

21世紀に入って、日本経済は戦後例を見ないデフレ経済を経験しておりますが、私の育種の仕事は、経済の動向と関係なく継続しなければなりません。このことが一番難しいことなのですが「継続は力なり」の言葉を今ほど身に沁みたことはありません。

メリクロンはランを大衆の花にした。多くの人々から愛された。マリリン モンローから20余年、今、シンビを愛した大衆からワンパターンの画一的な花は見放されている。大衆が非情なのではない。息をのむような、こころが揺れるようなシンビが少ないからです。この現実はきびしいのですが直視しなければなりません。ランの本来は「異能と唯一」の美の世界のものですので、その原点に帰る時期なのかも知れません。

      
20世紀の100年は、ランにとって無菌培養法の開発によって多くの品種が作出され、メリクロンの開発は産業化の道を開き切り花、鉢物栽培をもたらした。多くの原種、変異株も発見され、ラン界は全盛を誇った時代と評価される世紀であろう。
だが、20世紀は、ランから見れば無惨な時代でもあった。自生地の人間による破壊は、多くのランの絶滅をもたらし、ランブームは採取による絶滅をもたらした。人間の所業には「明と暗」が宿るが、ランにおいても例外ではなかった。

以上のことを考察しながら、私はシンビにどう向き合うかを模索することになるのですが、21世紀は「人間に有用なラン」と共に、ランの遺伝子の保存がより重要なことになる世紀であろう。

私の育種の仕事は、ビジネスを超えた時、意味を持つのではないかと思う。
 21世紀のシンビは・・・・
  m5井 清太の新品種
「規格化」され「大量生産」されたシンビと、「異能の個性」と「世界に唯一」のシンビと・・・・人々はどちらに美しいと感じるのか。人はどのような花に息をのみ・・・・こころ揺れるのであろうか。ラン展に大量の企業戦士のようなランが展示されるが、こころが動かない。感動がない。ランの持つ本質と異なることを人々は気づいている。
このぺージには「異能」「唯一」の花を掲載しています。私の独創の花達です。
企業戦士でないシンビのみを掲載しています。
今、ラン界でも「ビジネス、金儲け」の話は誰でもするが、出来るが、ランそのものの話を出来る人は非常に少なくなった。このホームページでは、ランの話に視点を置いて編集しております。

花は植物にとって「生殖器」に過ぎない。

だが、人は花に心寄せ、やすらぎ、愛してやまない・・・・
 
私のシンビ創りの基本理念は、シンビ本来の美しさを追究することです。キリスト教文化の美しさでなく、モンスーン気候が育んだ美しさである。


 

 息をのみ・・・心揺れるーーー
真珠を求める者は海底深く潜らなければならない
私もメリクロンを行ってきた一人である。
でも、やりながら違和感を持ちつづけてきました。シンビの本当の姿とは違うことをしているのではないか・・・・ランは企業戦士ではない・・・・。
メリクロンは同じものを大量に作る技術で、シンビの「異能」と「唯一」の世界とは異なる逆の大量のコピーを作る。日本の「横並び」の社会と見事に同じであるが・・・・シンビの美しさとは異なる。バブル時代は横並びの典型的な時代で、日本中が中流家庭になり、シンビも大量の中流の同じ花が売れた。個性の強い花より没個性の花が売れた。日本中が企業戦士をもてはやし、ラン界も企業戦士のようなランを大量に作り利益を追った。

ランの生育は緩慢であるが、時代の流れは急激である。

仕事するとき流れを創る者、流れに乗る者、流れに呑まれる者にわかれる。
この視点で見れば、私はどうすればよいのか・・・・

西欧の「金言」に前記の「真珠を求めんとするものは・・・・」がある。歩みは遅くともランの真珠を手にするには海底に潜る勇気と情熱を持たなければならないのではないか。
他人とおなじ道を歩むのはたやすい・・・・シンビのように異能、唯一の道を歩むのは、人間の一番難しい生き方であろう。

私の「独自の育種」・・・・。

先輩の花を知って、独自の交配を行わなければ唯一の道を歩むことは出来ない。
「育種」にも「時代を創る品種」「時代に乗る品種」「時代に遅れた品種」があるが、そんなこととは無関係に、シンビの立場からみた「育種」があってもよいのではないか。人間のために「有用なシンビ」でなく、
シンビの能力が燦然と輝く花の「育種」があってもよいのではないか・・・・

シンビは「異能」と「唯一」で生きている。
このホームページをご覧頂くと解るように、シンビは決して「横並びで」で生きているランではない。ただ、虫を誘うだけなら、多様とも、多元とも言える花の変化は必要としない。サギソウ、アングレカム・・・・のように白い花でじゅうぶんである。シンビがなぜ・・・・このような多彩な花色、Lipの変化を持つようになったのか・・・・。

「有能」「ナンバーワン」はいずれ「色あせる」。

メリクロンの開発で日本のラン界は、ひたすら「有能な品種」と「ナンバーワン」を追い求めた。バブル経済は「規格化」された大量生産と大量消費の世界を生んだ。ランもこの流れの中でひたすら同じ品種の大量生産の道を走ることになる。企業戦士のようにランはなってしまった。

この方向は、シンビの「異能」と「唯一」の進化とは逆である。
ランに生きる者は、「異能」と「唯一」の世界で生きるのが、あるべき姿ではないか・・・・





シンビは「異能」と「唯一」で生きる

私は、Cymbidiumというランのみを40年にわたつて、その美の本質を追い求め、見つめながら、片方で、ランの進化の謎を探ってきました。

花はどんな花でも、植物にとって「生殖器」である。
このことと、人は、なぜ、花を愛し熱狂するのか・・・を考え、その中でランというものを、私の人生ともなっているランとはどういうものなのか・・・を想い続けて来ました。ランを創る、栽培する動機と目標は人さまざまであろう。
私のランつくりの動機は「ランの育種家」になることであった

戦前に発行され続けた「農耕と園芸」の前身の「実際園芸」には、明治から昭和にかけて植物、園芸に人生を重ねた「育種家」が執筆していた。今から考えれば孤高の錚々たるメンバーである。自分の分野を切り拓いた人達であった。清水基夫先生、桜井 元先生、鈴木吉五郎先生、山本弘之先生、伊東東一先生、池田成功先生・・・・何時の日にか私も・・・・20歳の宇井清太の夢であった。「私は植物の愛人としてこの世に生まれて来たように感じます。あるいは草木の精かも知れんと自分で自分を疑います」。牧野富太郎博士の言葉である。

私はシンビの愛人になれるか・・・・ 
このような動機からすれば、当然のこととして「オンリーワン」の道を歩むことになる。
育種というのは他人と違う「唯一」のことをしなければならない。
花の本質は「ナンバーワン」になるために咲くのではない・・・。
育種にも「人間に有用なラン」を目標にするやりかたもある。ビジネスのための育種もある。今はほとんどこの方向からの育種であるが、私は、あえて「人間に有用でないシンビ」を創ろうと想った。ビジネスに向かない花に、本当の花の本質、美しさを秘めているのでなないか・・・・。
花は,子孫を残すためにのみ・・・・咲く。
この視点からの育種はやってみると一番難しい。育種には膨大な資金が必要で、この問題の前に理想は沈むのである。

 宇井 清太 育種テーマについて

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