






「歓喜」
シンビには、花でありながら、壮大な夢をあかあかと胸にいだく、怒涛のような男心を秘めた花がある。
この世には、無明の煩悩の果てに「歓喜」を手にする者がいる。
夕闇にこの花を見れば、明恵上人の、花びらはあかあかの月に、紅のLipは不動の信念になる。
私の無明の交配は、その多くは無残であるが、シンビの花には一片の迷いもない。子孫を残すだけである。
紅をもて身もたましいも染めつくし命をすてて画ともならばや
村山 槐多 (1896−1919) 槐多歌へる
朝日の中で、この花を見ていると、26歳で夭折した天才画家の、白キャンバスを燃え染めた「紅」が反射する。
男なら誰でも、この歌のように生きることの難しさをしっている。
信念は快楽の前に沈み、あかあかの月を、歓喜を胸に抱ける者は稀である。
頽廃の底に跳び入るわが心美しき故惜しみわれなく
この花の四方に咲き微笑む姿に、私は、アンコールトムの「クメールの微笑む観音像」を想像する。
この花の中に、それを作り上げた無明の男たちがよぎる・・・・・。
歴史の中で、無名の男達は人々の視野から消え「美」だけが残る。
その無残さと残ったものの美しさを想うーーーーー。
その視点で蘭を見れば、新種の発見にも、属間交配にも、名花の作出にも、男達の無明の燃える灼熱が宿る。
あかあかの想いをサンダースリストに見ることが出来る。
リストは今に継承する情念の系譜なら、蘭創りならリストに名を残したいと思う。




yuyu1−1