左の横顔は薬師寺の国宝「吉祥天女」であるが、私の育種イメージにシンビと天女はオーバーラップしている。

吉祥天女のような麗しいシンビを夢に追ってきました。
花の中に天女の横顔を見ることが出きるのはシンビのみであると・・・・私は想っている。


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 16 シンビは・・・肩越しの眼差し・・・・ 
 15 シンビは唇美・・・・LIp まんだら 天女の微笑
かつて世界の蘭界をリードした米国のスチュアート社が、ジャパニーズ タイプのCymbidiumにサチコ シリーズとして発表した。
小型、中型の可愛い、キュートな花達に名付けたサチコシリーズ。本来なら、そのようなシンビは日本で創らなければならなかった花である。私は、何時の日にかこのサチコシリーズを完成したいと思い続けて来ました。「サチコ、幸子、さちこの一生」を花で創りたい!!と思った。
私のRHS登録シンビに「Sachiko・・・・」と命名した品種は、以上のような想いの中から生まれた交配です。
ちなみに、 私の配偶者の名前が「幸子」だからではありません・・・・・。
14 さちこ サチコ 幸子のCymibidium
あだな姿のシンビといえば「スジ花」であろう。

シンビが「いいなぁ・・・・」と私の美意識と重なるのは、「見返り美人」のような花がシンビにあるからである。
とにかくいいのである。
シンビの内なる美意識がさりげなく風にゆれる・・・・。

このような、蘭展で大向こうをうならせる花でなく、ハイノーズの花でなく、それでいながら、分かる人が「ハッ」と一瞬するような花が私はいいと思う。この美こそシンビのものであると私は思っている。

 13 婀娜な姿のCymbidium     3 

燃えるCym
赤と白。
日本の美学の中に紅白は特別なイメージを占めてきた。
神の領域のものとも言え、その組み合わせは、神聖なまでのイメージ。
シンビの花の中で、最もこころを洗ってくれる。洗ってくれるだけではない。記憶に刻み込んで内から揺さぶってくるのである。
神聖であると同時に衝撃的に激しい。コロナのようにこころ揺さぶる・・・・。
シンビはシンメトリックな花容だから、荘厳なまでに美しい・・・・・。

シンビは神美・・・・。
 12 真っ白なコロナのCymbidium
シンビを長い間作っていると、シンビで最も美しいのは「ろうたけた美しさ」なのではないかと思う。
この世に美しい花は多々ある。だが、こお「ろうたけた」美しさを持つ花はシンビのみではないかと私は思っている。
シンビの花は2−3ケ月も咲きつづける。咲き始めはたいした特徴のない花が、素晴らしい魅力を持った花に日々変化する花が非常に少ないがシンビにある。
何十年ぶりの同級会で「いい女」になった「幸子」を見たような、そんな花がシンビにある。
他の花、他のランではこの「ろうたける」時間を待たないでj受粉し落花する。

この美しさを掬うことが出来たとき、シンビをやって良かった!!と思う。
3ヶ月も咲きつづけるような栽培をすると、はじめて顕す美しさで、ラン展では、絶対にこの美を、移ろう美を掬うことは出来ない。

 11 ろうたけた美しさのCymbidium
その他の花
すごーーい。
人間には大きいもの、大きいことにあこがれ、大きいことは素晴らしい・・・というどうしても払拭出来ない潜在意識がある。これは、生物が誕生したときから、遺伝子が追いもとめてきた進化の一つの目標でもあり。その目標は恐竜時代に終結したはずなのに、人間の脳にはめんめんと今も受け継がれ宿っている。
例えば、会社を次々に大きくした者は賞賛されるが、小さくした者を称える者はいない。

ランの育種の分野でも、どこまで巨大になれるか・・・・・可能性を探求する方向がある。育種するものであれば、この可能性を捨て去る
ことは難しい。このこことをしないと、何か大事なことを・・・・していないのではないかという思いが付きまとう。ランの育種100余年の歴史は、より大きく、より立派な花への希求の年月であった。



 10 超巨大綸のCymbidium
その他の花
私の育種という仕事は、Cymbidiumの潜在能力を引き出し、大きくその能力を開花させることです。
この仕事中私が最も興奮するのは素晴らしい「赤花」がある。
なぜなら、シンビの原種に「赤花」がないからです。シンビの赤色は、シンビの進化の中で、マグマのように花の深い情念となって秘め流れ続けてきたのである。

私の赤花は「キレイ」な赤花ではない。燎原を焼く炎の赤。夜叉のこころを悶えさせる業火。男を破滅させる焼きつくような・・・・そのような激しい赤こそシンビの赤と私は想う。
 9 激湍の情念が燃えるCymbidium   
美しい緑花
Cymbidiumがシンビであることを・・・・その座標を独壇場にするのは緑の花びらに、妖艶に燃えるLipを濡らすときである。
この世にある色彩の組み合わせの究極の美学であると、私は想っている。
この配色ほど人間の欲望を刺激するものはない。シンビほど絶妙に惜しげもなく咲き開いて見せる花は他にはない。

洋の東西を問わず、貴人の寝室はこの配色であったという。

私は、最も艶かしいLipの花を創りたかった。身を滅ぼすようなLIp・・・・・。
この個体は一点の汚れもない透明感のあるエメラルドグリーン。シンビにこのような花が咲くことが今でも信じられないでいる。
 8 炎情のLip緑花のCymbidium
Cymbidiumには全ての白がある。
この白の領域の広大さを想うと、この広さは、他のラン、草木では類をみないもの・・・・と私は想っている。
シンビの白からみると、カトレア、胡蝶蘭、パフィオ、デンドロ・・・・の白は単純である。別な言い方をすれば、白の一部分を持った花である。さらに別な言い方をすれば「自然の哲理」のようなものを、それらの花に私は感じられない。絵の具ではそれらの花の白は描けるが、Cymbidiumの白は描けない・・・・・。この違いは、天と地とほどのものであると私には思える。

この絶対の「差違」は、今、ラン界で論ずるものはいない。
カテゴリーでは分類できない人それぞれの感性の分野のものである。
  
そのような白の中で、私は、雪の白にこだわる。
私のラン園は、冬、雪に覆われる。
北国の山形は12月から3月まで雪に覆われる。
シンビに全ての白があれば、雪にも全ての白があると想う。その白は6角形が抱いた光を宿している。
雪の結晶もシンビの細胞も6角形。
私の中では、二つの白が重なるのである。

 7 雪の白さのCymbidium

藤原道長は満月に一門の栄耀栄華をオーバーラップさせ、御木本幸吉は真円の真珠に人生かけ、ラン界には、シンビに満月を描いた男がいた。その名はポウル ミラー。
地球はは何故円いのか・・・・。人間のこころに宿る円への畏怖心。
人間は・・・・何故円に特別な感情をいだくのか・・・・・・。

思えば、ランの育種の歴史は丸弁の花を創るためのものであった。
剣弁花で、丸弁花に比肩する花を創るのは、至難ともいえるくらいむずかしい。

私の育種の目標の中にも、拭い去ることの出来ない円への願望、悲願、憧憬・・・・がある。

 6 満月のCymbidium

その他の花
写真を撮っていたある時、私は「ハッ」と胸をつかれた。
それまでは、普通に花の記録としての写真を撮っていた。シンビの美しさが分からないまま写していた。
花の容姿にあれやこれやととらわれる日々の中で、深紅のコラムに衝撃を受けたのである。燃える想いを私に訴えているように感じたのである。
鈍感な私を恥じた・・・・。それから、他のランのコラムを注意深く見ることになった。驚いたことに、シンビのように情念が深紅に燃えるようなコラムを持ったランはなかった。

カトレアに、デンドロに、パフィオに何故このコラムがないのか・・・・?
シンビの情念が・・・熱く深いのか!!

 5 燃える花芯のCymbidium

Cymbidiumは横顔の美しいしランである。
シンビを真正面から見ても美しいと私は思わない。シンビの写真を撮るのは難しい。ランの中で最も難しいと思う。
このことは「横顔」が大きな要因と私は思っている。カトレア、パフィオ、胡蝶蘭、デンドロ、リカステ・・・・真正面から写しても、その花の相当なところまで写すことが出来るが、シンビは不満が残る。
シンビは舟。
舟は横から見たとき・・・・美しい。
舟はShe.横顔の美しい女。
ここまで連想したとき、肩越しからみた横顔・・・・シンビでいえば横顔の美しいLipの花。

私はLipの横顔に育種の目標に置くようになった。
Lipのフリルにこだわっております。

 4 横顔の美しいCymbidium

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その他の花
花の秘めた想い・・・・。
私達は間単に「花のこころ」という。表の色彩に目を奪われることが多いが、シンビの長い花のいのちを見ていると、シンビの美しさは、花の奥に秘めたものであることに気づく。簡単に言えば見飽きないのである。
これは、静かにシンビに向き合った時、はじめて響いてくる花のこころといっても良い。その花のこころを染めた花が端紅(爪紅)花。シンビのこころ映えを顕す花で、女性であれば、心豊かな時に差すマニキュアである。

何気なく差し染めた彩りの中に、私は「いいなぁ・・・」と思う。このような感じは、花と私が1対1で向き合った時である。
花は一輪でいい・・・・つくづく想う。
いっぱい咲いた花より・・・・・・一輪だから感じ取れる花の想い、花のこころである。

 3 端紅紅のCymbidium

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斑点花といえばパフィオ。
私はシンビの原種にトラシアヌムがあるので、パフィオの銘花を凌駕するような花をつくれるのではないか・・・と思った。
シンビの育種は、花びらから斑点を無くすことを目標にした。そのような交配の中にも、シンビは自己主張するように斑点を守り通した個体がある。ソラナ ビーチ。

私は、この個体を輸入し、多くの花と交配した。素晴らしい巨大花と、ひそかに斑点花の銘花を狙った。巨大花は遺伝子から見て、多くの先輩の花を見て予想は出来るが、パフィオを超える銘花は・・・・・。

98−308 John Woodenは、私が手にした斑点花の最良花である。その真価を世界に問う花である。

 2 斑点花のCymbidium

私が最も手に掬いたいシンビは「乙女色」の花です。
このイメージの花は「乙女椿」「乙女ユリ」の・・・・あの色のたおやかで麗しく優しい花である。Pinkではない。ローズ色とも微妙に異なる色である。「桃色」よりもっと優しい・・・・万人の胸を温かくする花である。
この色は東洋の色ではないか。シンビは東洋の蘭である。咲いてくれるかもしれない・・・・・。


93−90、93−72の二つの個体は、私の夢をかなえてくれた。
シンビにはじめて姿を現わしてくれた花です。私の中では、この花を手にしたので一つの終結を思う花です。
Arcadian Promenade と命名した。

 1 乙女色のCymbidium

私は、写真集「掬粋蘭花」Vol−1でCymbidiumには人間が感じる全ての美がある!!と記した。
それは、シンビ一輪の花の中に深遠で、広大な宇宙にも似た美が宿っていると私は感じている。
私の育種はそれを証明する仕事でもあった。先輩がシンビ育種100余年の歴史の中で作った膨大な品種は、それぞれ一つの美の領域を輝かせて個性豊かに存在している。その花たちを見ていると、ほとんど完成され、新たな美の発掘はもはやない・・・・とも思える。
いや、Cymbidiumという蘭は、人間の美感を遥かに超えるものではないか。私はそのように思いたい。私のシンビを創れる分野が残されているはず・・・・・。これまでのシンビに何があって何がないのか・・・・。私の手持ちの交配親、足りない交配親は・・・・。
夢の模索は、目標にする花をイメージさせた。曼荼羅・・・・。唇美曼荼羅。蕊美曼荼羅・・・・・神美曼荼羅!!


宇井 清太が夢にした・・・・・花

kokoga